テレビと現代史(2008年2月25日)


2月24日(日)のテレビ(「関口宏のサンデーモーニング」)でコソボ独立の話題が取り上げられていました。
その話題の中で、出演者のT氏(日本総合研究所所長)が1990年代のユーゴスラヴィア分裂と内戦に関して、「冷戦が終わったことで、抑圧されていた民族問題が噴出した」と解説していました。
たしかに間違ってはいないのでしょうが、旧ユーゴにおける民族問題噴出を単に冷戦終結のためだけに帰してしまうのはどうなのか、と首をかしげました。
というのは、今度3月に小社から出版する『ボスニア内戦-グローバリゼーションとカオスの民族化-』の中で著者の佐原徹哉先生は、90年代に起こったボスニア内戦と「民族浄化」という名の殺戮は、民族対立のゆえに生じたのではなく、グローバリゼーションによって地域と国家が崩壊させられた結果生じたものであり、「民族」の名の下にその殺戮が正当化されたものだと論じています。
つまり、真犯人はグローバリゼーションなのであって、それによる秩序の崩壊(カオス)が「民族化」されたものが、あの内戦だったという訳です。
私はこの原稿を読んだときの衝撃を今でも忘れません。
てっきり「民族対立」が原因だと思っていたあの内戦が、実はそうではなかったなんて・・・。
それから、悪いのはセルビア人で、ボスニア人は被害者だとばっかり思っていたのに・・・。
そして、あれがグローバリゼーションの結果起こった悲劇なら、それが蔓延している現代社会では、どこでも(もちろん日本でも)同じ事が起こる可能性があるということなのでは・・・。
このことを著者に言ったところ、「まさにそうなんですよ。だからそれを読者に知ってもらって考えて欲しいんです」という答え。
別に脅かすわけではありませんが、この本は現代社会に対する一種の警告の書なのです。

テレビはどうしても事を単純化したり、勝手なストーリーを創り出したりしがちです。
この本を造っていくなか、日頃、気を付けているつもりでも、知らず知らずのうちにテレビなどから流される分かりやすいストーリーを鵜呑みにしていた自分に愕然とし、それと同時に、実直に歴史というものを土台にして現代を考えている研究者の底力を知らされました。
単に表面に噴出している現象だけを見て問題を論じるのではなく、歴史にさかのぼり、そこから本当の姿を探り出していく。
「歴史とは、現在と過去との絶えざる対話である」という歴史家E・H・カーの古典的な言葉を改めて噛みしめているこのごろです。