一年ぶりのご無沙汰です(2009年3月27日)


この「有志舎の日々」は、ほぼ1年ぶりの更新です。
本当にすいません。
「なんでちっとも更新しないの」「始めた以上ちゃんとやらなきゃ」というありがたいお叱りを受け、こんな駄文でも読んで下さる方がいたんだという事に励まされて、細々と再開します。
更新できなかったのは、昨年はほぼ毎月1点は新刊を出すような状況になり、とにかく忙しかったということが一番なのですが、まあ言い訳にはなりませんね。

ということで、今回は最近読んでいる本から。
大門正克さんの『日本の歴史15 戦争と戦後を生きる』(小学館)をもうすぐ読み終わりますが、これはなかなか良い本です。大門さんがいつも歴史を見る際に重要視している、「人が生きる(生存する)」ということや「人と人とのつながり(それはしがらみでもある訳ですが)」という視点を一貫させて、「人間くさく」戦前・戦中・戦後の日本通史を描ききっています。正直、読み始めたときは、この大門流の問題意識による叙述で、過不足なく歴史事象についても触れなければならない「通史」を描き切れるのかどうか心配だったのですが、杞憂でした。
叙述には結構苦労したのではないかと思うのですが、様々な体験をした人びと(固有名詞)の人生をタテ糸に、大きな歴史事実・事象をヨコ糸にして通史を織り上げるという挑戦は成功しています。
そこに描かれる人びとの体験は本当に「様々」で、「歴史に翻弄された」という表現で単純化できないものです。そこからは、「日本人は・・・」などという大文字だけでは歴史を描くことはできないんだという著者の思いが読みとれました。
しかし、版元らしく(?)意地悪なことを考えると、こういう本を出しながら、一方で福田和也氏や井沢元彦氏のような論調の本や『SAPIO』のような雑誌も出版するという小学館の歴史意識はどうなっているんでしょうか?
まあ、あれくらい大きな出版社になると、色々なイデオロギーをもつ編集者がいて、それぞれが自由に企画しているのかもしれませんが。

ところで、今日の夕方からは、歴史書を編集している編集者同士でやっている勉強会「歴編懇(歴史編集者懇談会)」があり、12月に小社から出版させていただいた『植民地期朝鮮の知識人と民衆−植民地近代性論批判−』の著者である趙景達さんにきていただいて「植民地近代性論批判」の報告をしてもらい、その後みんなで議論しようということになってます。
ひと癖もふた癖もある編集者たちの集まりですし、著者であろうとそんなこと関係なく、ズケズケとものを言うのがこの会の伝統になっているもので、それは大事にしたいのですが、今日の進行役としては多少心配です・・・。
まあ、趙さんも負けていないでしょうから、丁々発止の議論になるんじゃないかと思います。
きっと、その議論は2次会の酒席に持ち越されるでしょう。
今日の帰りは何時になることか・・・。


(追記)
上の文章を書いたあと、大門さんの本『戦争と戦後を生きる』の編集者の方は、小学館のなかでも『SAPIO』などの論調とは一線を画している方だとのお話をききました。少し嫌みな書き方をして申し訳なかったので謝らせていただくとともに、このような素晴らしい本を編集されたその感性と力量に感服したことを書き添えておきたいと思います。
なお、私は小学館の出版物で一番好きなのは「日本民俗文化大系」全15巻です。80年代に歴史の勉強を大学で開始した私にとって、歴史学・民俗学・人類学などを有機的に繋いで新たな「日本列島史像」を提示したこの叢書には衝撃を受けました。
執筆者も、網野善彦・宮田登・石井進・坪井洋文・安丸良夫といったエースを揃えており、掲載されている鮮明な写真にも魅了されました。小学館には現代版の「日本民俗文化大系」をつくってほしいものです。
もっとも、そんなによければ有志舎でやれよ、と言われそうですね。
でも、なかなかこういうものをつくるだけの実力は・・・ないです。残念ながら。