国際政治と現代史(2006年8月7日)


約1ヶ月半ぶりの更新になってしまいました。すいません。
今年も8月6日、9日がやって来ました(来ます)。
もちろん、原爆の日です。
最近では「記憶の風化」といわれるように、これらの日が何なのか知らない人も増えているという事ですが、私にとってやはりこの季節は「戦争」を考える季節です。1964年生まれの私は、当然「戦争を知らない子供」なのですが、祖父が満鉄と華北電電の社員として戦前・戦中は中国大陸にいて、父も子供の頃は祖父に従って大陸を転々とし、敗戦のなかで命からがら日本に引き揚げてきたということを子供の頃から耳にタコが出来るほど聞いてきたもので、やはり戦争というものを考えないで生きていくことはできません。
「もう二度と戦争はイヤだ」という言葉を祖父母や両親から聞いてきたせいもあって、気がついたら近現代の戦争について勉強するようになり、挙句の果てに、細々とでも出版を通して「戦争批判」の主張をしていきたいというのが私の念願になってしまいました。

もちろん、戦後日本人の持つ「戦争嫌い」の思いというものが、被害者意識からでていて、加害の意識が薄いという指摘はもっともなことです。だけど、中島三千男先生(歴史学・宗教学)も言うように、その被害意識こそが戦後史のなかで反戦の声を支えてきたのも事実だと思います。その被害の記憶さえも消えようとしているなかで、戦争をやっても良いという声が高まっている状況は、残念なことです。

そんなことを考えるいるなかでも、イスラエルのレバノン侵攻は深刻化し、世界の戦争はとどまることを知りません。
このような現代国際情勢の変動とその原因を考えるため、来年から新しいシリーズを刊行開始する予定です。
「シリーズ 国際政治と現代史」
と、とりあえずしていますが、どうもインパクトが今ひとつ、ですよね(自分でもそう思います)。
うまいネーミングはないものでしょうか。
第1回配本は
『先住民と国民国家-近現代中央アメリカのグローバルヒストリー-』(小澤卓也先生著)
です。これはスペインによる中米植民地化から独立・国民国家形成の道へ(そのなかでの先住民の「非・国民化」)、そして現在の反グローバリズムを訴えるメキシコの先住民反政府ゲリラ・サパティスタの分析に至るまで、先住民に視点をすえた「もうひとつの近代」を描こうとするものです。これは、アイヌや沖縄の人々と本土・内地人との関係史を考えれば、決して日本人にとって他人事ではありません。
そして、その次は『ボスニア内戦-民族浄化の原風景-』(佐原徹哉先生)の予定です。
「民族浄化」という言葉には背筋が凍るものがありますが、その実態はまだよく知られていません。東ヨーロッパの片隅でいったい何が行われたのか、そこに大国のエゴは隠されていなかったのか。旧ユーゴの歴史を長年研究してきた著者による良質の分析になるでしょう。
その次は、まだテーマがきちんと決まっていませんが、南部アフリカについて永原陽子先生に書いていただく予定です。貧困と内戦・戦争が渦巻く南部アフリカを、西欧による植民地化から脱植民地化へ、そして現代の問題まで含めて論じていただければと考えています。ただ、これはまだこれから著者と相談するので、全く内容が変わってしまうかも知れませんが。
このように、現代国際政治と現代史を繋ぎ合わせて論じることで、世界の未来を考えていくシリーズにしたいと思っています。まだまだ、考えたいテーマはあるのですが、なかなか著者が見つかりません。
ともあれ、また詳しいことが決まったらご報告します。
お楽しみに!

今回は久しぶりだったので、長々と書いてしまいました。