「教育改革」に思う (2007年7月19日)


世の中、すっかり参院選モードですが、この国会で新「教育基本法」に続き、「教育3法改正案」が通過してしまったことを忘れてはいけないと思います。
安倍内閣の意図は、多くの論者が述べているように、愛国心の涵養(強制)はもとより、教育に競争原理を導入するということです。しかし、私は学校で生徒に学力を競わせること、学校同士を競わせることで教育が良くなるとは思えません。私は自分の経験からそう思うのです。以下、少し恥ずかしいのですが、自分の受けた教育経験を述べてみたいと思います。

私は、小学校4年の3学期から6年までの受験競争を経て、中高一貫教育の進学校である私立S中学に入学しました。私も親も、これで「良い学校」に入ったのだから、いずれは一流大学へ労せず行けて一流企業へという順風満帆な人生が待っていると思っていました。
でも本当の地獄はここからでした。S中学・高校は6年間の一貫教育のもと、東大を頂点とする有名大学へ生徒を送り込むことを目的にしている学校でした(それが他の学校との競争に勝つということなのでしょう)。そのため詰め込み教育を実践し、普通の公立中学1年〜高校3年まででこなすカリキュラムを高校2年までに終えて、残り1年は受験勉強に専念するということをしていました。

しかし、問題はそういう詰め込み教育ではありません。毎回の中間試験・期末試験で、クラス内におけるそれぞれの成績順位をはっきりさせ、教師によっては成績順に生徒の座席を決めることも厭いませんでした。つまり、教室に入れば誰が何番の成績かがはっきりと見える、つまり競争を「可視化」させるわけです。そして、学期ごとに下位の成績の生徒は退学を推奨(事実上の強制)されました。さらに、平均点で60点以下の生徒は頭を「五分刈り」にしてくるように強制されることもありました(私も泣く泣く五分刈りになりました)。
その結果どうなったか。生徒たちはクラスメートを競争相手としか見られなくなり、成績下位の人間を馬鹿にするようになりました。そして、悪質なイジメが横行し、同じ「クラスメート」だという連帯意識は崩壊していたといっていいでしょう。

この中学時代、私の成績はいつも50人中40〜48位くらいを彷徨っていたので、毎学期ごとに「今度こそ退学させられるのでは」と戦々恐々でした。しかもクラスで好成績の人間からは侮蔑的な呼び名で呼ばれたこともありました。
幸い、高校2年からはたまたま成績がアップし(といっても、結局は一流大学には受かりませんでしたが)、さらに中学からの持ち上がりとは別に50人ほどが高校受験で外部の公立中学から入学してきて、その連中は成績だけで人間を見るような「常識」を持っていなかったので、彼らと友人になることで私は苦しい学校生活から解放されました。彼らの存在がなかったならば、私は高校卒業の日を迎えることが出来なかったかもしれません。

もちろん、すべてを平等にせよという事はいいませんが、「競争はすべてを透明化する」「競争のないところは腐敗する」という無邪気な教育競争至上主義は「あまい」としか思えません。競争がすべてを解決するというのは、本当の競争を経験したことのない人間か、その「勝ち組」になった人間の幻想にすぎないと言わざるを得ません。私の行った学校では、教育に競争を持ち込んだことで、生徒たちの心は腐敗していったのです。

今、国に先行して、私が住む東京都杉並区では競争原理による「教育改革(改悪)」が進行しています。私は杉並生まれの杉並育ちなので、地元の教育状況が日増しに悪くなっていくのが心配でなりません。競争によって異質なものを排除するのではなく、様々なものがごちゃ混ぜになりながらも、ゆるやかな公共圏が存在する社会。そういう社会ができないものでしょうか。

また、この杉並では、いわゆる「新しい歴史教科書をつくる会」歴史教科書が教育委員会で採択され、使用されています。これは、山田宏区長が、元々「つくる会」教科書に反対だった教育長を、区長室長をつとめていた人間にすげ替え、しかも現場の教諭が提出した「教科書調査報告」が、校長を通じて「つくる会」教科書のみ、その記述を正反対に書き替えられたりして(『朝日新聞』記事による)、いかにも現場からの支持があったかのように見せかけるということまでやったあげくの強引な採択でした。

私は2年前の夏、カンカン照りのなか、「つくる会」教科書採択反対の署名をするため、採択委員会が開かれている杉並区役所前まで行きました。そこには採択反対派だけでなく賛成派の人たちもいて、マイクで叫んでいました。その賛成派の人たちは明らかに20代〜30代の若い世代が多く、しかも外見が「おたく」っぽかったのが印象的でした。実際に「おたく」なのかどうかはどうでもいいのですが、なぜ若い人たちが「右」に惹かれていってしまうのか、これはほとんどがルサンチマン意識から来ているようにも思いますし、右派のやり口も醜悪ですが、一方で従来の左派が持つ、上からものを言う体質と閉鎖性(ネット右翼は「サヨク」「サヨ」と侮蔑を込めてカタカナで表記する)とも関係があるようにも思います。

いずれにしても、新自由主義とナショナリズムが横行する現代世界で、斜に構えるのでなく、無骨ながらもそれに反対し、新しいオルタナティブを探していきたいと思うこのごろです。
今回は怒りのあまり、日々の仕事とは直接関係ないことを長々と書いてしまいました。